とある女子:「なんだかんだ言って、ブランドモノに対する憧れや羨望って誰でもあると思うんだ。だから、全身コーデは無理だとしても、カバンとか財布とか時計とか、1つや2つ持ってる人は多いと思うし」
ハイブランドアイテムは、ただ持っているだけで、時に周りの人からの羨望を集め、時に一目置かれることもある。
それに、自身の容姿風貌がパッとしなかったり、人から羨ましがられるような仕事やポジションにいなくても、ハイブランドモノを持つことで、少し誇らしい気持ちになれたり、束の間、自分が偉くなったような気分を味わえたりする。
ハイブランドなモノは、それを手にするだけでまるで魔法をかけられたみたいに自分を一段二段、レベルアップさせてくれるアイテムなのだ。
そう、シンデレラが魔法によって素敵なドレスを纏い、そして王侯貴族の待つ宮殿の舞踏会へ向かうかの如く。
しかし、それは自分が偉くなったわけでもなんでもなく、ハイブランドそのものの価値にすぎない。なのに、勘違いしてしまう人が後を絶たない。
そして、魔法はいつか解けるもの。
夜12時になってシンデレラは、もとのみすぼらしいシンデレラに戻るが、ブランドの魔力に冒されたしまった人は、その魔法が解けないまま・・・
いや、違う。
魔法が解けないのではなく、魔法が解けたことに気づかず、その魔法がいつしか呪いに変わってしまったことに気づけない。
ハイブランドなモノを持っていることが凄いのではなく、凄い自分がハイブランドなモノを持っている、という「勘違い、思い上がり、うぬぼれ」の呪いをかけられてしまうのだ。
ハイブランドの魔力という呪いは恐ろしいものである。
時代で考えれば、ハイブランドはおもに貴族が持つものであって、その家柄であったり地位であったりあるいは資産、そしてその人間性が備わって初めて持つ資格が与えられ、そしてふさわしいものとなった。
シャネル曰く、ブランドは流行を作っているのではなく、スタイルを作っている。
ブランドというのは威厳そのもの、なのだ。
人がブランドを選ぶのではなく、ブランドが人を選ぶ。
まるでリトマス紙のように、身に着ける人によって色を変え、さらなる輝きを放つのがハイブランドたる所以であり醍醐味なのだが・・・
とある女子:「今はオトナとかコドモ関係なく、そしてどんなバカでも、クズみたいな人間性でも、お金さえあればハイブランドなんて誰でも簡単に手に入るわけじゃない? つまりブランドロゴが簡単に自分のものになるし、それがあたかも自分の魅力だと勘違いしちゃうんだよ」
例えば日々、知性や教養、人間性という内面を磨いても、そういったものはすぐに評価されるものではないし、とても見えにくい。しかし、ブランドロゴさえ見せれば、すべての人とは言わないまでも、一目置いてくれる人は一定数いる。
その結果、何の努力もなしに「凄い自分」にしてくれるブランドに、自分でも気づかないうちにどんどん依存するようになってしまうのだ。
とある女子「ハイブランドさえ着れば周りが一目置く。ハイブランドを持てば、認めてもらえる。そんな風にして、若い頃から権威付けのドーピングにハマって、結果、自身の知性や教養、人間性を磨くことを怠ったらどうなると思う?」
みんな誰かに、何かに認められたい。
そして誰だって粗末に扱われるのはイヤだ。
しかし、日常はどうだろう?
正しく生きようが、真面目に生きようが、誰にも認められず、そして救われないことは決して少なくない。
その一方で、例えば芸能人や有名人、著名人がクズみたいな人間性なのに無条件にチヤホヤされているのを見ていると、自分の存在価値に絶望しそうになることもあるだろう。
そんな時、ハイブランドなモノを持つことで、そんな「何者でもない自分」を束の間でも忘れたり、ほんの少し自分を大きく見せたいと思っても、それを誰が責められるのだ、カレは複雑な思いを抱きながらカノジョの言葉を聞いていた。
とある女子:「だけどもっと怖いのは・・・」
Vol.3につづく
文・山田孝之 編集・@marony_1008