第21話「恋も流行りもキョリ感が大事」Vol.2

それは『今流行ってるモノ』

そして『今話題になってるコト』

 

ネットやテレビ、雑誌など、情報はそこかしこにこれでもかと溢れている。

そうした情報を人は日々取捨選択し、その結果がそれぞれの個性やセンスとなってその人を形成している。

 

しかしそのオトコの場合、今流行っていることが「正義」であり、今話題になっていることが「正解」なのだ。

そのことに何の疑問も疑いも抱くことがないばかりか、そうした「流行り」という名の波に乗り遅れまいとサーフボードを手に走り、「話題」という名の電車に乗ろうと、必死にその電車を追いかけ、飛び乗る。

 

とある女子:「例えば、服の話をすれば『今年のトレンドはこのカタチでトレンドカラーはこの色』とか、ゴハン行く時も最近話題になってるお店だから行くとか、みんなが持ってるからスマホはiPhoneが常識でしょ、とかね」

 

自分が選んでるように見えて、実際は世間や周りの多数派が支持するものを盲信し、それにつき従っているだけ。

 

自身のココロが悦ぶことよりも、自分が優越感に浸り、他者に対してマウントをとれることだけが目的である選択をしていることに本人はどれくらい気づいているのだろうか。

 

とある女子:「本人は流行りとか話題を誰よりも早くキャッチする自分をイケてるって思ってるのかもしれないけど、傍から見ればそんなものの価値なんて流行ってる間のそれこそ一瞬じゃん?そもそも、その人が流行らせたわけでも話題を沸騰させたわけでもないわけだし。なのに、まるで自分の手柄みたいなドヤ顔って、なんか見てて痛々しいし本当に可哀そうだなって思う」

 

カレは想像してみる。

考えているようで何も考えてない・・・というよりカレ自身、ふと気づくと考える隙を与えてもらえないような感覚に陥るときがある。

 

ひとたびスマホを開けば、さまざまな情報が勝手に向こうから飛び込んでくる。

そして、それを何となしに読み、何となく理解し「世界を」「時代を」「知識を」「今というトレンドを」わかった気になっている。

もし、そこで一旦立ち止まって考えようとしなければ、すぐに次の情報が飛んでくる。

そう、スマホを開いているかぎり、朝から晩まで。

 

まるでわんこそばでも食べるかのように、自分で蓋を閉じない限り「情報のおかわり」は続くのだ。

しかも、自分が意識的にスマホやパソコンで検索する事柄によって、その趣味嗜好はネット上で学習され、その後は自分で検索するより早く、向こうから勝手に自分好みの情報が届くようになる。

人はますます考える機会を奪われ、いつしか「情報の奴隷」になっていく。

意識することなく、無意識のうちに。

 

とある女子:「スマホ片手に、流行りモノとか話題のモノに縛られて思考停止になってるオトコは論外だけど、実際はほとんどの人がどんどんモノを考えなくなってきてるんじゃないかって気がするんだよね」

 

電車に乗った時、ふと周りを見るとほぼすべての人がスマホを見ている。

待ち合わせ場所で友達を待っている時もそう、何かの行列に並んでいる時もそう、気づけばみんなスマホ画面に没入している。

 

自分が好むネット記事を読み、好きな動画を観て、好きな音楽を聴く。

まるでステレオタイプの風刺画を見せられているようだ。

 

とある女子「家でも外でも、それこそどこでも自分の好きなものに囲まれてるって幸せなことなのかもしれないけど、外でも自分だけの世界に浸り続けるのって果たして、人として正解なのかなって思う」

 

カレはふと数か月前の自分を思い出した。

とあるカフェでカレはイヤホン越しにある言葉を聞いた。

それは・・・

 

 

Vol.3へつづく

 

文・山田孝之  編集・@marony_1008

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